「しあわせについての一考」

もともとわたしはあまり感情が濃いほうではない。
怒りも悲しみもあまり長く続かないし、よろこびにもたのしみにも、大してインパクトを受けるほうじゃない。
だから、泣きわめくことも滅多にないし、
さらにはうれし泣きなんて、今までの人生でいっかいもなかったし、
まあ、これからだってあり得ない。
そう、

人から、
きみって恵まれてるよね、
とか言われても、ピンと来ないし、
しあわせな人ってあたし以外にもいっぱいいるし、
きのうだっておとといだって、そんなにいいことなかったし、
一年を振り返っても、いいことを思い出すほうがむずかしい。
てなわけで、
とにかくしあわせであることの自覚が薄い。
だが、それについては、うすうすヤバいんじゃないかと思ってた。

なぜなら、もし仮にどんなに愛されたとしても、ありがたみが実感できないからである。
そういうのって、人としていかがなものか?
他人から愛されるのって、ほとんど奇跡なはずじゃないか!
それがわからないなんて、薄情にもほどがある。
そう考え始めた矢先に。
なんと!
まあ、
そのわたし、が。
いま、
眠れなくなるほどありがたくなって、泪を流している。